北山杉を愛した偉人
桂離宮

泣きたくなるほど美しい

「泣きたくなるほどの美しさ、永遠の美ここにあり」
これはドイツの建築家ブルーノ・タウト(1880年 - 1938年)が桂離宮を訪れたときに、その簡素で機能的な美しさに驚嘆し言った言葉です。(タウトは1933年から1936年まで日本に滞在)
北山杉がふんだんに使われた桂離宮の美をタウトは絶賛し、そのことで日本人の間に「わび・さび」の美を再評価させるとともに、世界中に桂離宮の名を広めるきっかけとなりました。

桂離宮はおよそ400年前、八条宮家初代の後陽成天皇の異母弟である智仁親王(1579年 - 1629年)が源氏物語の世界に憧れ、八条宮家の別荘として桂川の畔に築かれた日本最高峰の建築です。
木目が最も美しい北山杉の風合いを生かした御殿は、柱の節一つ一つの位置まで、室内の調度品や襖絵と調和するよう、綿密に計算されています。

ブルーノタウト

山職人を父に、京都の自然の中、大切に育てられた「北山杉」

タウトは桂離宮をはじめとする日本建築に、「最大の単純の中の最大の芸術」の典型を見いだしました。
自身の著書「日本美の再発見」の中で次のように書いています。

- 桂離宮は、施工のみならずその精神から見ても、最も日本的な建築である。
- 大がかりな社寺の如きものなら世界にも沢山あるが、それが桂離宮となるとまるで違ってくる。
- それは世界にも類例なきものである。

山職人を父に、京都の自然の中、大切に育てられた「北山杉」

木肌の美しい磨き丸太として名高く、その「世界にも類例なきもの」のひとつである北山杉に、タウトは魅了されました。
北山杉がふんだんに織り込まれた桂離宮の御殿の美は、今日も世界中の人の目を楽しませています。