北山杉の歴史
北山台杉 北山杉の台杉仕立。「台」から真っすぐ伸びる立ち木が独特の雰囲気を醸し出す。

独特な台杉仕立が、北山杉の始まりです。

室町・応永年間(1400年頃)。
この頃より中川村(現在の京都市北区中川)で杉の植林が始まったと言われており、北山杉のシンボルとも言える「台杉仕立」として、北山杉は歴史をスタートさせます。

台杉仕立は、垂木と呼ばれる細丸太の生産を目的としたもので、手のひらを広げたような「台」の上に3〜5本の真っすぐな幹が垂直に立つという独特な形をしています。

これはもともと森林が狭いという中川地域のきびしい自然条件を背景に、「苗の不足を解決する一方法」として考え出されました。
そしてこの地域は年間を通して気温が冷涼で、暑い夏の日でもさわやかな谷風がわたり、冬は冷たい北山時雨がみまう日々が続く地域であり、そんな清滝川の清流にせまる谷間の湿り気の多い空気が、北山杉を育てる環境としてはこの上ない条件となったのです。

床の間

また中川地域は隣接する小野庄(現在の京都市北区小野郷)、梅ヶ畑庄(現在の京都市右京区梅ヶ畑)とともに、京都御所に産物を献上する「供御人」としての地位を授かり、古来よりの磨丸太類の生産、販売を行うこととなっていったと考えられています。

そもそも、北山杉が頻繁に用いられるようになった背景には、室町時代の千利休によって完成された「茶の湯」文化の隆盛があります。
茶の湯文化を支える茶室や数寄屋建築の建築用材として、北山杉の需要が広がっていきました。

床の間と共に広がる北山杉

茶室と言えば床の間を連想する方も多いのではないでしょうか。
床の間は日本住宅の部屋に見られる座敷飾りの一つで、掛け軸や活けた花といった観賞用の置物などを飾るための空間です。
南北朝時代より、掛け軸をかける壁に置物や陶器などを展示する机を併合させたものが造られ始め、それを近世の茶室建築にアレンジしたものが床の間となりました。

実はこの床の間が北山杉の最も活躍する場所で、それをもとにした日本建築には、北山杉は欠かせない木材となっていったのです。
北山杉を使用した代表的な建築物には、桂離宮や修学院離宮などが挙げられます。