インタビュー
生産組合 北山丸太生産協同組合の会議室。奥に北山杉の床柱が見える。(左)専務理事:森下武洋さん(中)理事長:中田正信さん

生産協同組合の方に聞いてみました。

「人×北山杉」インタビュー企画の第一弾は北山杉の生産の中心、北山丸太生産協同組合の理事長と専務理事のお話です。
北山杉業界の一番中心にいる2人に生産者としての視点で語ってもらいました。

ー今日は北山丸太生産協同組合の理事長・中田さんと専務理事・森下さんにをお話をお伺いします。
よろしくお願いします。

中田、森下(以下敬称略):よろしくお願いします。

ーではさっそくですが、北山杉と他の杉の違いについてお話を聞かせて下さい。

森下:一般の杉(吉野杉、秋田杉)との違いは製品になったときに構造材になるのか、化粧材になるか。
構造材とは、家を建てるときの骨組みとか、骨格部分になるような材。
杉って丸いんだけど、四角い柱にする。
または、薄く切って板にしたり。
表の丸いのは基本的に必要ない。

ところが北山丸太は正反対で、その丸さを生かして化粧材にする。
化粧材は基本的に家がある程度建ってからの装飾用。

ーあー、飾り! なるほど、それを化粧材と。

森下:それが、構造材と化粧材、言うたら材木と銘木の違い。
材木は柱などの材料、銘木はその杉の特徴を生かして、外観に装飾するような材のこと。
その銘木の部類に北山杉は入る。
吉野杉や秋田杉も銘木だけど、北山杉と違うのは四角いか丸いか。

ーへぇ、割と簡単な違いですね。

森下:北山杉はその丸みを生かした、表の肌の綺麗さが特徴なんや。

ー北山杉が化粧材として生まれた経緯はなんでしょうか?

森下:んー難しいな(笑)

中田:難しいなそれは(笑)

森下:今から700年ぐらい前の日本の建築って言ったら武家造りで、お殿さんやお寺さんなんかの位の高い人たちの家は構造材も化粧材も角張った柱を使った威風堂々とした感じが多かった。
ところが、千利休あたりから日本にお茶の文化が広まって、庶民のお金持ちの間では茶室や数寄屋建築に趣向が傾いてきた。
数寄屋建築ってよく言うでしょ?
あるがままに、お好きなように作りなさいよ、って言うのが数寄屋の語源って言われている。

ー「スキなように」、が数寄屋!

森下:で、当時の日本の首都の京都で、その茶室や数寄屋の建築用の柱に、ちょうど北山丸太が合うたわけなんやね。

それでなぜ北山の地で丸太を作ったのか。
この地域は寒暖の差がものすごく激しく、山が急峻で湿気が多い。
それに山の土自体が痩せていて太い木を作るのに適してなかった。
太い木を作ったとしても、川が小さく運搬が出来なかった。

ー昔は川に流して運搬してたんですよね。

森下:だから太い木ではなくて、都でも流行っている垂木って言う細い丸太を作っていこうと。
昔はみんな歩いて運んでたんやね。

中田:要するに都が近かったからそれが出来た。

ー土地柄に合わせて出来る事をやっていったと。

中田:そうみたいですね。